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第三次拡張事業は、昭和44年度から7ヵ年計画で実施され、工期を1年延長して昭和51年度までに完了しました。
事業が進行する中で、高度経済成長によって山形市民の生活水準は向上し、国道13号線バイパス建設など交通網は整備され、民衆駅となった山形駅前には大型量販店が進出しました。また、県庁舎移転による市南東部の急激な開発、中央卸売市場と流通団地や西部工業団地の造成など、環境整備の進行によって市域への人口集中が見られるようになり、水道の需要は年々増加傾向にありました。
そして昭和53年8月3日には、一日最大給水量が114,179立方メートルに達し、第三次拡張事業の目標値を超えてしまう事態となったのです。
今後も増加し続けると予測される水需要に対して安定した給水を行うため、さらなる水源を求めなければならない状況でした。
その頃、建設省(当時)が寒河江ダムの建設を計画しており、このダムを水源とする県営の村山広域水道用水供給事業から受水する計画が進められていました。
そこで、この村山広域水道用水供給事業より受水するに当たって、水道事業を最も合理的に運営できる計画を立て、将来増大するであろう水需要に十分に対応できる施設とするために、昭和65年度を目標年次とする第四次拡張事業計画を立案しました。
第四次拡張事業では、村山広域水道用水供給事業から受水するための配水池の築造と、これに伴う配水管の布設と整備、既存施設の改良、拡充等が計画されました。また、蔵王山田地区、小松原地区、湯田地区、漆房地区の4地区が新たに給水区域に編入されることになりました。
同計画は、昭和55年3月に議会の議決を得たのちに4月1日付けで厚生大臣に認可を申請し、6月25日に認可、翌月から工事に着手しました。
村山広域水道の計画給水区域である山形市・天童市・上山市・村山市・寒河江市・東根市・河北町・大江町・西川町・山辺町・中山町・朝日町の(6市6町)2005年度の一日最大給水量は推定で約340,000立方メートルに達するとされ、昭和50年度のほぼ2倍になると見込まれていました。
一方でこの6市6町の既設給水能力は、一日最大給水量が約210,000立方メートルにとどまっている現状にありました。また、地下水や伏流水も一部の地域を除けば枯渇傾向にあり、各水道事業体にとって将来の水資源の確保は共通の課題となっていたのです。
そこで昭和47年6月に6市6町によって村山広域水道調査会が結成され、当時建設省によって進められていた寒河江ダム計画の中に水道用水の確保を組み入れ、このダムを水源として一元的に水道用水を供給する村山広域水道用水供給事業の計画が立てられました。
寒河江ダムは最上川支流の寒河江川に建設され、昭和51年11月にダム本体の第一期工事に着工し、その後、昭和53年6月に第二期工事、翌54年7月に第三期工事、56年11月に第四期工事に着手されましたが、オイルショックによる経済不況が続き、国が総需要抑制政策をとったことから工期は大幅に遅れ、平成2年11月にようやくダムが完成しました。
その後村山広域水道は、昭和59年7月に一部給水、平成3年4月に本格給水を開始しました。寒河江ダムに貯留された流水を一旦寒河江川に放流し、西川町大字沼山地内に築造した取水堰堤によって取水し、これを導水トンネルによって同町大字吉川地内に建設した西川浄水場に導水しています。ここで浄水処理をしたのち、送水管による自然流下か、必要によってはポンプ増圧の方法で、各市町営水道の配水池に給水されます。
建設中の寒河江ダム
西川浄水場
村山広域水道からの受水を柱とする第四次拡張事業では、山形市大字松原字山ノ神地内に有効容量10,317立方メートルの配水池2池からなる南山形配水場が新たに建設されました。建設工事は昭和59年3月に完成し、59年度は契約水量(一日最大給水量)の3,000立方メートル=責任水量2,100立方メートルの暫定受水を始めました。この暫定受水は、各受水団体の緊急性を考慮して、県が寒河江川の「暫定水利権」を取得し、ダムの完成を待つことなく一部給水を開始したものでした。本格的な受水は寒河江ダムが竣工し安全性が確かめられた平成3年4月以降になりました。
この第四次拡張事業は平成元年3月をもって施設整備を完了しました。
建設中の南山形配水場