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第三次拡張事業<昭和44年(1969年)~>

ページID:0006262 更新日:2023年5月5日更新 印刷ページ表示

​第三次拡張事業

最上川からの取水計画

昭和40年代に入り、水道事業は農村地帯への普及が推進され、昭和43年7月の実績では、一日最大計画給水量を突破する状況になりました。また、新たな市域に普及した簡易水道も、市民生活の向上によって計画給水量を上回る情勢となりました。さらに、市郊外に進出した企業が自家用の深井戸を利用する傾向が顕著となり、地下水位が低下し使用できなくなった地下水源が出るなどしたため、全く新しい構想による水源開発が必要になったのです。

こうして浮上したのが山形県の「母なる川」最上川の表流水を水源とし、中山町に取水施設を設け、市内見崎に浄水場を新設して浄化配水するという計画でした。

最上川の取水口
最上川取水口

この計画では、昭和58年の給水人口を217,000人、一日最大給水量は112,000立方メートルと推定し、進行中の第二次拡張事業と市郊外地域の簡易水道の一本化によっても不足が見込まれる水量の72,000立方メートルを最上川の表流水から取水するという案でした。

期間は昭和44年より50年度までの7ヵ年で、第一次・第二次に続く第三次拡張事業となりました。

事業の概要は、取水ポンプにより最上川から揚水し、内径800ミリの鋼管で新設の見崎浄水場に導水し、高速凝集沈殿池、急速濾過池により浄水し、ポンプ直送式により1,200ミリの送水管で市内に配水するという画期的なものでした。

見崎浄水場建設中
建設中の見崎浄水場

導水管と送水管
導水管800ミリ(左)と送水管1200ミリ(右)の埋設現場(見崎浄水場内)

見崎浄水場の完成

第三次拡張事業は二期に分けて行われ、第一期は昭和46年度までに最上川から一日40,000立方メートルの浄水を得る目標であり、第二期は残り40,000立方メートルの浄水施設と管網を整備する計画で進められました。

第一期工事は昭和46年5月31日に目標の給水能力を完成し、同年7月1日に通水しました。これによって山形市上水道の給水能力は一日あたり83,777立方メートルとなり、需要増に概ね対応できるようになりましたが、年々使用実績は給水計画を上回るようになってきたため、引き続き第二期工事の完成を急ぎました。

第二期工事は昭和47年度から始まりましたが、昭和48年に入り、県庁舎移転を中心とした市南東部の開発や流通団地の造成の具体化、高瀬地区未給水地区への給水、南部広域簡易水道の統合、「水質汚濁防止法」に伴う排水処理施設の建設など、新たな事業を第三次拡張事業に組み入れ計画を変更しました。そのため工期を1年延長し、総事業費も大幅に増額して事業を進めることになりました。

こうして昭和50年9月末には水処理施設関連の工事が完了し、第三次拡張事業の当初の目標であった114,000立方メートルの給水能力の体制が確立することになりました。

事業最終年度に当たる昭和51年度は、施設の有効稼働を図るための管網の整備と排水処理施設の建設を行い、年度内に完成しました。これをもって第三次拡張事業の第二期工事はすべて完了しました。

見崎浄水場空撮
現在の見崎浄水場


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